中学受験 歴史 戦国時代の重点ポイントまとめ

中学受験 歴史 戦国時代

中学受験生のみならず、多くの日本人が好きな日本史の時代といえば「戦国時代」です。

毎年のように小説やアニメの舞台となり、大河ドラマで取り上げられた人物や地名は社会現象になることも多く、老若男女問わず人気、知名度ともに高い時代といえます。

どの登場人物もストーリーとともに丁寧に描かれるため、その人物を好きになれば同じ時代に生きたほかの人物や関連する歴史的事実もあわせて覚えられることから、小学生にとっては勉強感少なく取り組める比較的学習しやすい時代区分なのではないでしょうか。

一方、中学受験で考えた場合には戦国時代はその人気と相まって入試で出題されるケースも多く、テレビで覚えたような生半可な知識ではなく、しっかりと対策を取っておかなければ加点しづらい単元でもあります。

この記事では、中学受験の歴史「戦国時代」の重点ポイントについて詳しくまとめているので、戦国時代で取りこぼすことのないように、基本的な知識からしっかりと学習していきましょう。

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一つ前の単元である「室町時代」についておさらいしたい人はこちらの記事を参考にしてください。

戦国時代の重点ポイントをまとめると…

目次

戦国時代の始まり・年代はいつ

戦国時代はいつから始まる?

戦国時代の始まりと終わりについては諸説あり、中学受験生はその成立年代に戸惑いがちでもあります。

まず、戦国時代の始まりですが、この時代の幕府は室町幕府であることを押さえましょう。そして、前回の記事でもまとめたように、室町時代のなかには前半の「南北朝時代」と後半の「戦国時代」という二つの時代区分があることを思い出してください。

日本史の時代区分はえてして幕府の成立・滅亡や中央政権の交代などによって分けられることが多いです。ですので、戦国時代の時代区分を考える際も、時の幕府であった室町幕府の勢力や状況からある程度判断することが可能ということを覚えておきましょう。

戦国時代の始まり「応仁の乱」「明応の政変」

戦国時代の始まりは室町幕府の力が衰え、下剋上の世の中に突入した時代、つまり戦乱の世へと移り変わった象徴的な出来事である「応仁の乱」を初めとする考え方と、室町幕府の中央政権としての力が完全に失われることとなった「明応の政変(めいおうのせいへん)」を初めとする考え方の二つがあります。

いずれも室町幕府の力が衰退したことを指しているのに変わりはありませんが、どちらも重要な出来事であることから、その年代と内容はセットで覚えておきましょう。

まず、応仁の乱は1467年に京都で起こり、約11年間も続いた後継者争いです。京都が焼け野原となり幕府の力が一気に弱まっただけでなく、争いは全国に広がり、各地で家臣が守護大名を倒すという下剋上の風潮が高まりました。

次に、明応の政変が1493年に管領の細川政元(ほそかわまさもと)によって起こされ、将軍が足利義材から足利義澄に置き替えられました。細川政元は「半将軍」とも呼ばれ、幕府の最高権力者となりましたが、この事件によっていっそう下剋上と戦乱が全国に広がりました。ちなみに管領とは室町幕府において将軍に次ぐ最高の役職で、将軍を補佐して幕府の政治を統括しました。三管領を忘れた場合は復習しましょう。

従来は応仁の乱が戦国時代の始まりとされる考え方が一般的でしたが、最近の研究では明応の政変が戦国時代の始まりとする考え方が主流となっています。いずれにしても、戦国時代、そして室町時代を理解するうえではどちらも重要な出来事なので、年号といっしょに必ず覚えておきましょう。

戦国時代の終わり

戦国時代の終わりについても始まりと同様に複数の考え方があります。ですが、先ほども述べたように、基本的には戦国時代の中央政権であった室町幕府が深く関係していることから、幕府に関する出来事を押さえておくことが重要です。

最も代表的なのは織田信長(おだのぶなが)が1568年に京都へと上洛(じょうらく)し、1573年には第15代将軍の足利義昭(あしかがよしあき)を追放して、実質的に室町幕府が中央政権としての機能を失った頃を戦国時代の終わりとする考えです。

なお、室町幕府は完全に滅亡したわけではなく、追放された足利義昭はそのまま征夷大将軍として備後国(現在の広島県あたり)で幕府を継続させています。ただし、あくまでも中央政権としての力を失っていることから、室町幕府は信長による追放によって実質的には滅亡したと考えることができます。

室町幕府は力を失ったかたちですが、戦乱の世はこの後もしばらく続きます。戦国時代とは日本を誰かひとりが統治するのではなく、戦いの絶えない時代であったと考えるならば、豊臣秀吉が全国の大名たちを従え、日本を一つに統一した1590年までが戦国時代であるともいえます。

したがって、室町幕府は1573年に織田信長によって実質的にほろぼされますが、戦国時代は1590年に豊臣秀吉が全国統一を成し遂げるまでは続いたと考えていいでしょう。

戦国時代の勢力図・地名・戦国大名

戦国時代の最強の武将・部隊

戦国時代はその名のとおり、多くの戦国大名たちが実力をつけ、ときに武力をもって敵の部隊を圧倒し、ときに知略と謀略をめぐらして名のある武将を討ち取るなど、覇権をめぐって勢力争いに明け暮れた時代でした。

そんななかでも下剋上の時世に乗り、立身出世して戦国の世に名を残した戦国大名や武将をご紹介します。まずは、1530~40年代の日本地図でみたときの各地の有力大名たちです。まだ豊臣秀吉や徳川家康といった傑物が世に出てくる前の時代です。

◆主な戦国大名一覧

・伊達稙宗…陸奥(現在の福島・宮城・岩手・青森)
・上杉謙信…越後(現在の新潟)
・武田信玄…甲斐(現在の山梨)
・北条早雲,氏康…相模(現在の神奈川)
・朝倉孝景…越前(現在の福井)
・浅井久政…近江(現在の滋賀)
・斎藤道三…美濃(現在の岐阜)
・織田信長…尾張(現在の愛知)
・松平広忠…三河(現在の愛知)
・今川義元…駿河(現在の静岡)
・三好長慶…畿内・阿波(現在の関西・徳島)
・松永久秀…大和(現在の奈良)
・毛利元就…安芸(現在の広島)
・長宗我部国親…土佐(現在の高知)
・大友義鎮…(現在の九州西一帯)
・島津貴久…薩摩(現在の鹿児島)

地名は現代とは異なるものも多いので、当時の呼び名とあわせてどの地域でどのような戦国大名が勢力をほこっていたのかを覚えておきましょう。中学入試では日本地図とセットで出題されることも多いので、二次元のマップで理解できていれば心強いです。

なかでも美濃の斎藤道三(さいとうどうさん)や相模の北条早雲(ほうじょうそううん)は身分が低かったところから、実力で戦国大名にまで上りつめた下剋上の象徴ともいえる人物なので覚えておきましょう。

戦国時代最強の武将①「上杉謙信」

戦国時代最強の武将のひとりと言われているのが越後の上杉謙信(うえすぎけんしん)です。武将として優れていたことはもちろん、上杉謙信が率いる越後兵(えちごへい)は槍兵を中心とした最強の部隊でもありました。

ほとんどの戦に勝っていた上杉謙信は、ライバルであった武田信玄(たけだしんげん)や織田信長にも何度も打ち勝っています。なかでも領地が隣り合っていた武田信玄とは幾度となく戦い、12年間で5回にもわたって争われた川中島の戦い(かわなかじま)はとても有名です。

戦国時代最強の武将②「武田信玄」

戦国時代の最強の武将として、よく挙げられるのが上杉謙信のライバルであった武田信玄です。「甲斐の虎(かいのとら)」という異名が付けられているように、戦上手だった武田信玄は当時から多くの武将たちにおそれられていました。

槍兵主体の上杉謙信とはちがって、武田信玄を支えた最強の部隊こそが騎馬隊です。「赤備え(あかぞなえ)」といわれた武田信玄の騎馬隊は武具や馬具を赤一色でそろえており、戦国きっての精鋭部隊でありました。

その赤備えを率いていた山県昌景(やまがたまさかげ)は武田信玄の家臣ながら、戦国時代最強の武将の一人としてもよく挙がります。

このように、戦国時代にはさまざまな武将が実力主義のもと成り上がっていきますが、そのような群雄割拠の時代において、バラバラだった日本を実力をもって統一していこうとしたのがかの織田信長でした。

織田信長の簡単な年表と戦・天下統一

1534年、織田信長は尾張国の武将であった織田信秀(おだのぶひで)の三男として生まれます。三男であったことから家を継げるわけでもなく、はじめは織田家のなかでも弱い立場でありました。

そこから実力で織田家を、そして尾張を統一していくと、1560年には桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)で駿河の実力者であった今川義元(いまがわよしもと)と戦います。

完全に戦国大名としても格上、兵力でも約10倍の部隊を率いていたとされる今川義元との戦いでしたが、織田信長は奇襲などによってなんと今川義元を討ち取ってしまいます。

1567年には、美濃の稲葉山城(いなばやまじょう)を攻め落として岐阜(ぎふ)と改名し、自らの支配下に置きます。このときに、後の豊臣秀吉である木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)が一夜にして城を築いたという一夜城の話は有名です。

その後、自らの力で足利義昭を15代将軍へと押し上げたものの、その足利義昭によって武田信玄や越前(えちぜん)の朝倉義景(あさくらよしかげ)などに信長は攻められ、さらには織田信長の妹であった市(いち)の夫である浅井長政(あさいながまさ)にも裏切られ、絶体絶命の状態となります。

ですが、なんとかそのピンチを脱した織田信長は、1570年に姉川の戦い(あねがわのたたかい)でその朝倉・浅井の連合軍に打ち勝ち、さらには1571年に敵対勢力であった比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を焼き討ちします。

1572年には、三方原の戦い(みかたがはらのたたかい)で武田信玄と戦い、このときに徳川家康(とくがわいえやす)は織田信長との連合軍で戦っていましたが、戦国最強の騎馬隊であった武田信玄軍に織田徳川連合軍は敗れてしまいます。ですが、武田信玄が病死したことにより織田信長はまたもや窮地を脱することになります。

そして、京から足利義昭を追放したのが1573年で、室町幕府が事実上滅んだかたちとなります。

その後、1575年には長篠の戦い(ながしののたたかい)武田勝頼(たけだかつより)に勝利します。このときに用いられたのが鉄砲隊(てっぽうたい)で、三弾撃ちという戦法を編み出し、武田の騎馬隊を迎え撃ったのです。

1576年からは現在の滋賀県に安土城(あづちじょう)を築き始め、1580年には加賀の一向一揆を家臣の柴田勝家(しばたかついえ)に制圧させるなど、その力を確固たるものとしていきます。

ところが、天下統一目前といったところで家臣であった明智光秀(あけちみつひで)の裏切りにあい、1582年、かの有名な本能寺の変(ほんのうじのへん)で織田信長はその生涯に幕を閉じることとなるのです。

戦国時代の文化・暮らし

戦国時代の暮らし・文化

戦国時代の法律

戦国大名たちは自分たちの領地を治めるために、分国法(ぶんこくほう)という独自の法律を作りました。家臣の決まり事や農民の生活についてなど、細かく実用的にルールが決められています。代表的なものは次のとおりです。

  • 信玄家法(しんげんかほう)…甲斐の武田信玄
  • 今川仮名目録(いまがわかなもくろく)…駿河の今川義元
  • 長宗我部元親百か条(ちょうそかげもとちか)…土佐の長宗我部元親
  • 朝倉敏景十七か条(あさくらとしかげ)…越前の朝倉敏景

これらの分国法は鎌倉時代の御成敗式目(ごせいばいしきもく)の影響を強く受けているものばかりで、いずれも自分たちの領地だけに適用される法律でもありました。

戦国時代の城や生活

戦国大名たちはお城を築き、その周りに領民が住んで城下町(じょうかまち)を形成していきました。

はじめは山や高台の頂上に築く山城(やましろ)が主流でしたが、しだいに平地に堀や天守(てんしゅ)を持った平城(ひらじろ)が多くなっていきます。

このような城を中心として栄えた城下町のほかに、お寺や神社を中心に栄えた門前町(もんぜんまち)、港を中心に栄えた港町があります。なかでも大阪にある堺(さかい)の港町は貿易で力をつけ、町衆(まちしゅう)として大名に属さない独自の自治を行っていました。

鉄砲とキリスト教の伝来

戦国時代の人々の生活を語るうえでかかせないのが、ヨーロッパとの交流です。

1543年には鹿児島県の種子島(たねがしま)に流れ着いたポルトガル人から鉄砲が伝来しました。織田信長が戦に取り入れて次々に強敵を撃破したように、鉄砲が伝わったことは日本の歴史を大きく影響することとなります。

ポルトガル人やスペイン人は南蛮人(なんばんじん)と呼ばれ、商人や大名たちは長崎や平戸で貿易を行いました。これを南蛮貿易(なんばんぼうえき)というので覚えておきましょう。

南蛮貿易によって当時は日本になかった大陸の物珍しいものが多く輸入されることとなり、大名や商人だけでなく一般庶民の間にも多くのものが流通して生活や文化に影響を与えました。

また、戦国時代に西洋から伝来したものとして重要なのがキリスト教です。1549年に鹿児島に宣教師フランシスコ=ザビエルがやってきてキリスト教を日本に伝えました。宣教師はほかにもポルトガル人のルイス=フロイスも有名なので覚えておきましょう。

キリスト教は日本各地に信者をつくっていき、大名のなかにもキリスト教信者(キリシタン大名)となる人も出てきます。有名なのは、小西行長(こにしゆきなが)高山右近(たかやまうこん)などです。

戦国時代のまとめ

それでは最後に戦国時代の単元の重点ポイントのまとめをしていきます。

戦国時代のまとめとして、次の3つの項目をなにも見ずとも出来事やその年号、関わりのある人物などを言えるかどうか確認してみてください。

  1. 戦国時代の始まりと終わり
  2. 戦国時代の武将・大名
  3. 戦国時代の文化や暮らし

答えられない場合は、もう一度それぞれの見出しに戻って読み返して要点を押さえましょう。中学受験の重要ポイントは次のようになります。

戦国時代のまとめ

  1. 戦国時代の始まりと終わり
    ・始まり
    ①1467年 応仁の乱
    ②1493年 明応の政変
    ・終わり
    ①1573年 室町幕府滅亡
    ②1590年 豊臣秀吉の天下統一
  2. 戦国時代の武将・大名
    ・上杉謙信…最強の越後兵。槍兵。
    ・武田信玄…甲斐の虎。赤備えの騎馬兵。
    ・織田信長…尾張から下剋上。鉄砲隊。
    ・斎藤道三,北条早雲…下剋上で大名に。
  3. 戦国時代の文化や暮らし
    ・城下町、町衆
    ・南蛮貿易
    ・鉄砲とキリスト教
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中学受験の歴史「戦国時代」の次の単元は「安土桃山時代」です。

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