中学受験 歴史 室町時代の重点ポイントまとめ

中学受験 歴史 室町時代

中学受験生のなかでも苦手な人が多いのが「室町時代」です。

なぜ苦手な中学受験生が多いのかというと、室町時代には南北朝時代や戦国時代など複数の時代が含まれており、一見するとややこしい印象を受けてしまうところにあります。

朝廷が二つある状態、つまりは天皇が同時期の日本に二人いるというおかしな状態であったり、足利氏の将軍の名前や政治、文化の違いが似通っていたりするところも、いっそうややこしさを助長しているといえるでしょう。

また、中学受験生、とくに男子の小学生に人気の戦国時代の印象が強い分、政治や文化が複雑に絡み合う室町時代についてはなかなか覚えにくいというのも本音だと思います。

この記事では、中学受験の歴史「室町時代」のなかでも「戦国時代を除く室町時代」の重点ポイントについてまとめているので、「戦国時代は得意だけど室町時代は苦手」という中学受験生は必ず最後まで読むようにしてください。なお、戦国時代についてはこの後に一つの記事としてまとめています。

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一つ前の単元である「鎌倉時代」についておさらいしたい人はこちらの記事を参考にしてください。

室町時代の重点ポイントをまとめると…

室町時代の重要ポイント

  1. 南北朝時代
    ・後醍醐天皇と建武の新政
    ・北朝…光明天皇、足利尊氏
    ・南朝…後醍醐天皇、楠木正成
  2. 足利将軍と戦国の世
    ・足利尊氏…征夷大将軍、三管領四職
    ・足利義満…太政大臣、勘合貿易
    ・足利義政…土一揆と下剋上、応仁の乱
  3. 室町時代の文化・産業
    ・北山文化…金閣寺、寝殿造、足利義満
    ・東山文化…銀閣寺、書院造、足利義政
    ・観阿弥・世阿弥、狩野正信・元信
    ・連歌、お伽草子、雪舟の水墨画
目次

室町時代の成立と後醍醐天皇の「建武の新政」

室町時代はいつ開始?建武の新政とは

まず、室町時代は「室町幕府が開かれたとき」から始まると考えれば、その開始は1338年からとなります。足利尊氏が幕府を開いて約240年間を指します。ですが、その数年前に起こった出来事も室町時代を語るうえではとても重要なのであわせて学習していきましょう。

後醍醐天皇と鎌倉幕府の滅亡

2度にわたる元寇によって鎌倉幕府は明らかに力を弱めていきます。その様子を見ていて、幕府を倒す計画をたてたのが後醍醐天皇(ごだいごてんのう)です。

後醍醐天皇は、執権である北条氏をはじめとした幕府が天皇の世継ぎに口を出すことなどに不満を抱いており、天皇自らが政治を行う時代を復活させようとかねてより考えていました。

そこで幕府の力が弱まった1331年に、後醍醐天皇の皇子である護良親王(もりながしんのう)たちとともに幕府を倒す計画を進めます。しかし、計画は失敗してしまい、後醍醐天皇は現在の島根県にある隠岐(おき)に島流しにされてしまいます。これを元弘の変(げんこうのへん)といいます。

実はこの元弘の変の前にも後醍醐天皇は幕府を倒す計画を立てていますが失敗に終わっています。つまり、2度にわたって幕府を倒そうとしたために、いくら天皇といえどとうとう隠岐という朝廷や幕府からも遠く離れた場所に流されてしまうのです。

ですが、鎌倉幕府は御家人や武士たちの不満を高めていたために、天皇に味方する勢力がどんどん増えていきます。

まず、地方の有力武士であった楠木正成(くすのきまさしげ)が挙兵します。それに対して鎌倉幕府は楠木正成の千早城(ちはやじょう)に攻め込みますが、とうとう千早城を落とすことができずに守り切られてしまいました。この様子をみていた武士や御家人たちは幕府の力が弱くなったことを実感し、次々と幕府を裏切っていきます。

一時は幕府軍をひきていた足利尊氏(あしかがたかうじ)までもが天皇の味方となり、やがて1333年に新田義貞(にったよしさだ)によって鎌倉幕府はほろぼされてしまうのです。

建武の新政と南北朝時代

1334年、鎌倉幕府をほろぼした後醍醐天皇は京都の朝廷にもどり、年号を建武(けんむ)と改めます。ここから天皇を中心とした政治を復活させたことから、建武の新政(けんむのしんせい)ということを覚えましょう。

建武の新政では、後醍醐天皇自らが政治をとり、摂政・関白を廃止して記録所という役所をつくりました。この記録所というのは、重要な政治の決定をする機関のことをいいます。

そして、武士ではなく貴族を中心とする政治、いわゆる公家中心の政治を行います。

この政治に黙っていなかったのが鎌倉幕府倒幕に力を貸した武士たちです。武士たちはろくな恩賞やほうびをもらえなかっただけでなく、さらには天皇の皇居建設のために多くの費用を払わせられることさえありました。

そのため、武家政権の復活を望む声が高まり、1336年に不満を持つ武士たちをひきいた足利尊氏が天皇派であった楠木正成をたおし、京都を占領します。建武の新政はわずか2年で終わりました。

そして、後醍醐天皇は奈良の吉野に逃れ、足利尊氏は京都に新たに光明天皇(こうみょうてんのう)を即位させたことで同時期に二人の天皇が存在することとなりました。すなわち、京都の光明天皇の北朝と、吉野の後醍醐天皇の南朝という二つの朝廷が対立する南北朝時代の開始です。

この南北朝時代はその後、3代将軍の足利義満の時代まで続きます。

室町幕府と足利尊氏・足利義満

足利義満のしたことと金閣寺・一休さん

南朝と北朝に分かれ、それぞれに天皇がいた南北朝時代ですが、もともとは足利尊氏が幕府を開くために天皇をたてたことが始まりでした。

なぜ足利尊氏が天皇を新たにたてたのかというと、新たに幕府を開くためには征夷大将軍になる必要があり、そのためには天皇に任命されなければならなかったのです。

もちろん、一般人を天皇にしようとしたわけではなく、足利尊氏がたてた光明天皇はかつての後深草天皇(ごふかくさてんのう)の血筋を持つれっきとした皇族でした。

そして、1338年足利尊氏は征夷大将軍となり、京都に室町幕府を開きます。

室町幕府の内容・しくみ

室町時代には武士をしたがえて貴族や寺社の荘園を奪って領地を広げる守護が出てきます。このような守護のことを守護大名(しゅごだいみょう)といいます。

室町幕府は足利将軍一人が力を持つのではなく、有力な守護大名たちによって支えられる連合政権でもありました。なかでも、幕府中央で政治の主要な役職に交代であたったのが三管領(さんかんれい)四職(ししき)という人たちです。

まず、管領とは鎌倉幕府でいう執権にあたり、将軍の下について政治をサポートする重要な役職でした。この管領には、足利氏の一族であった斯波(しば)・細川(ほそかわ)・畠山(はたけやま)の3つの一族が交代で担ったことから三管領と呼ばれています。

つぎに、管領の下には政所・問注所・侍所という政治や武士たちを統括する役職があり、これらを交代で担ったのが赤松(あかまつ)・一色(いっしき)・山名(やまな)・京極(きょうごく)の4つの氏族でした。

中央はそのように足利氏一族と有力な守護大名によって政治が行われ、地方には守護・地頭を引き続き設置し、京都から遠く離れた鎌倉には関東管領という役職を置いて、ある意味で小さな幕府としての機能も持たせていました。

足利義満の政治と一休さん

1336年より50年以上続いた天皇が二人いる状態を一つに統一したのが、3代将軍の足利義満(あしかがよしみつ)です。1392年に南北朝を統一したことは中学受験でも重要なので覚えておきましょう。

足利義満は守護大名を武力で押さえていっただけでなく、1394年には太政大臣(だいじょうだいじん)にもなって貴族たちも支配下に置いていきました。この太政大臣とは朝廷の最高職であり、かつての平清盛のように武士としては足利義満が史上二人目になったことも重要です。

その後、足利義満は現在の京都にある室町に「花の御所」とよばれる自分の邸宅をつくったことから、この時代が室町時代と呼ばれるようになります。

また、足利義満は1404年から中国の明との貿易(日明貿易)を再開させます。当時は倭寇(わこう)とよばれる海賊行為をする日本の武士や漁民集団がいましたが、それを日本が取り締まることを条件として再開されました。なお、倭寇と区別するために勘合符というお互いを証明する札のようなものを持ち合わせて貿易が行われたことから勘合貿易(かんごうぼうえき)ともいわれています。

この日明貿易によって堺や博多の商人が大きな利益を生み出し、室町幕府は経済的にも大きな力を持つようになります。足利義満は政治や経済で大きな業績を残しただけでなく、この後にまとめる文化・芸術面でも日本を大きく発展させています。

このように足利義満は室町時代においてさまざまな分野で活躍した将軍であり、「一休さん」というアニメのなかでも「将軍さま」としてモデルにもなっていることから、とくに大人世代にはなじみの深い将軍でもあるということも押さえておきましょう。

室町幕府の衰退と下剋上・戦国時代へ

室町幕府の終わりと戦国時代

室町幕府のおとろえと応仁の乱

3代将軍の足利義満のときに安定した室町幕府でしたが、農業技術が発達していったことで農民たちが力を持つようになっていき、しだいに有力な農民を中心に惣(そう)という自治組織ができます。

そして、惣をもとに貴族や寺社の荘園にしばられることなく、寄合(よりあい)とよばれる話し合いの場を農民たちだけで開き、村のルールや役人を決めるなど、農民たちどうしの団結をしだいに強くしていきます。

やがて、土一揆(どいっき)という年貢を軽くしてもらうことや徳政令(土地をタダで取り戻せる)を出させることを目的に、農民たちが団結して武器をもって抗議行動をするようになります。1428年、滋賀県近江の馬借(ばしゃく)という運送業者が起こした正長(しょうちょう)の土一揆は有名なので覚えておきましょう。

そのほかにも土一揆にはそれを行う人や目的によっても名前がついているのであわせて覚えておきましょう。

  • 徳政令一揆
  • 国一揆(くにいっき)
    武士が農民を先導して守護大名に反抗する
    【例 1485年:山城の国一揆
  • 一向一揆(いっこういっき)
    浄土真宗の一つである一向宗の信者がする
    【例 1488年:加賀の一向一揆

室町時代の後半には、このような土一揆が度重なり起こるようになり、幕府の力はしだいに弱まっていきます。そして、1441年には6代将軍の足利義教(よしのり)が守護の赤松満祐(あかまつみつすけ)に暗殺されるという嘉吉の乱(かきつのらん)が起こります。

また、土一揆が象徴しているように、身分の低い者が身分の高い者を実力でたおすという下剋上(げこくじょう)という考えが世の中に広まっていきます。

1467年、8代将軍の足利義政(よしまさ)の時代には幕府の力がますます弱くなっており、将軍家の相続争い、さらには将軍下の管領家の相続争いが起こります。

当時の有力守護大名であった細川勝元(ほそかわかつもと)山名持豊(やまなもちとよ)を筆頭にして、全国の守護大名たちが細川の東軍と山名の西軍とで対立し、11年間にもおよぶ長い争いが京都で起こったのです。これを応仁の乱(おうにんのらん)といいます。

そして、この応仁の乱の最中に自分の国を留守にした守護大名の家臣たちが力をつけ、守護大名を倒すという下剋上が各地で起こっていきます。応仁の乱が終了したころには、全国のほとんどの守護大名は自らの家臣や国人によってほろぼされたのです。

このような下剋上によってそれぞれの国内を実力で支配していったものたちが戦国大名であり、日本が群雄割拠の戦国の世へとつき進んでいくこととなります。

室町時代の産業・文化

室町文化と暮らし・芸術

室町時代の商業・産業・人々の暮らし

室町時代には日明貿易の開始もあり、商業を中心に産業が発展します。日本は刀剣や銅、蒔絵(まきえ)を輸出し、明から明銭(みんせん)や絹織物、生糸などを輸入します。とくに、明銭や宋銭などは日本の貨幣として広く流通し、商業を発展させていきます。

そんななか大きな利益をあげていくのが土倉(どそう)や酒屋などの金貸し業者で、彼らは高い金利でお金を貸し付けて多くの利益を得ていきました。

商業がさかんになると行商人も増え、各地で年貢や商品を預かったり運んだりする問丸や馬借・車借などの職業も発達していきます。

やがて、商人や工業人たちは座(ざ)という同じ職業の人たちだけでつくる組織を作ります。これらの座は貴族や寺院たちに認められ、各地域の営業を独占して大きな利益をあげていきました。

京都や大阪の堺などの商工業が発展した都市では、力を持った商人が都市の自治にもあたっていきました。このような商人のことを町衆(まちしゅう)とよびます。とくに、酒井は日明貿易の港でもあったことから発展し、会合衆(えごうしゅう)という合議制の自治政治が行われました。

また、都市では交通の中心地が発展し、市場町や宿場町が定期市を起点に広がっていきます。人々のお寺参りも増え、寺社の近くには宿や店ができて門前町(もんぜんまち)としても発展していきました。

室町時代の北山文化と東山文化・学問

室町時代の文化として重要なのは、3代将軍足利義満の時代の北山文化と8代将軍足利義政の時代の東山文化です。

北山文化の代表的なのは京都北山に建てられた金閣寺で、南北朝時代の時代背景から武家と公家両方の文化を取り入れ、さらには禅宗の様式も加わった寝殿造(しんでんづくり)が印象的です。

東山文化の代表的なのは京都東山に建てられた銀閣寺で、庶民文化が取り入れられた書院造(しょいんづくり)が印象的になっています。とくに、床の間やふすまといった住居様式は現代の住居にまで影響を与えています。

書院造の建物には京都の竜安寺のような自然を表現した庭である枯山水(かれさんすい)が特徴的なのであわせて覚えておきましょう。

文学では、貴族から庶民の間で広まったのが連歌(れんが)という複数の読み手が句を続けてつくる作品や、浦島太郎や一寸法師などのお伽草子(おとぎぞうし)もこの時代に生まれました。

そのほかには、観阿弥・世阿弥(かんあみ・ぜあみ)父子の能(のう)狂言(きょうげん)、茶の湯や生け花なども広がりました。

また、絵画では明に留学していた雪舟(せっしゅう)が水墨画を独自の山水画として完成させたこと、さらに水墨画に大和絵の色彩を取り入れ独自の画風をつくった狩野正信・元信父子も覚えておくようにしましょう。

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室町時代のまとめ

それでは最後に室町時代(戦国時代を除く)の単元の重点ポイントのまとめをしていきます。

室町時代のまとめとして、次の3つの項目をなにも見ずとも出来事やその年号、関わりのある人物などを言えるかどうか確認してみてください。

  1. 南北朝時代
  2. 足利将軍と戦国の世
  3. 室町時代の文化・産業

答えられない場合は、もう一度それぞれの見出しに戻って読み返して要点を押さえましょう。中学受験の重要ポイントは次のようになります。

室町時代のまとめ

  1. 南北朝時代
    ・後醍醐天皇と建武の新政
    ・北朝…光明天皇、足利尊氏
    ・南朝…後醍醐天皇、楠木正成
  2. 足利将軍と戦国の世
    ・足利尊氏…征夷大将軍、三管領四職
    ・足利義満…太政大臣、勘合貿易
    ・足利義政…土一揆と下剋上、応仁の乱
  3. 室町時代の文化・産業
    ・北山文化…金閣寺、寝殿造、足利義満
    ・東山文化…銀閣寺、書院造、足利義政
    ・観阿弥・世阿弥、狩野正信・元信
    ・連歌、お伽草子、雪舟の水墨画

中学受験の歴史「室町時代」の次の単元は「戦国時代」です。

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