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中学受験 歴史 飛鳥時代の重点ポイントまとめ

天皇を中心とした政治が始まったのが「飛鳥時代(あすか)」です。

日本人ならば誰もが知っている聖徳太子が活躍した時代であり、遣隋使や律令制度、法隆寺など中国の隋や唐、そして世界との結びつきもひと際強くなった時代でもあります。

なにより、中学受験で考えたときに覚えることが多いのがこの飛鳥時代です。憲法、法律、天皇や皇子の名前など似たような言葉がならぶうえに、それらを具体的な年号とあわせて覚える必要があるためこれまでの単元からはるかに難易度が高まります。

飛鳥時代で歴史に対して苦手意識を持ってしまうと、この後の学習にもつまずいてしまう恐れがあるので、歴史的な出来事をそのときのエピソードも含めながら覚えられるようにまとめました。

これから受験勉強を開始する中学受験生は飛鳥時代について正しく知識を覚えて、社会の歴史分野を得点源にしていきましょう。

一つ前の単元である「古墳時代」についておさらいしたい人はこちらの記事を参考にしてください。

飛鳥時代の重点ポイントをまとめると…

飛鳥時代の年号はいつから?年表まとめ

飛鳥時代の年号はいつ?

飛鳥時代は古墳時代(大和時代)と奈良時代にはさまれた、西暦592年~710年の118年間に及びます。

日本と関わりが深い中国では隋(ずい)が589年~618年、その後の唐(とう)が618年~907年まで続いたことを押さえ、飛鳥時代は中国の二つの王朝と年代が重なっていたことを覚えておきましょう。

飛鳥時代は冒頭に述べたように、年号とあわせて出来事を覚えていく必要があります。ここでは、飛鳥時代で中学受験で重要となってくる年表を先見せしているので、最後まで読む時間がない人は年表だけでも確認するようにしてください。

飛鳥時代の年表早見チェック

  • 593年…聖徳太子が摂政に
  • 603年…冠位十二階の制定
  • 604年…十七条の憲法の制定
  • 607年…遣隋使の派遣
  • 645年…大化の改新
  • 663年…白村江の戦い
  • 672年…壬申の乱
  • 701年…大宝律令の制定
  • 708年…和同開珎の製造開始
  • 710年…平城京を都にする

飛鳥時代に聖徳太子は何をしたのか?

飛鳥時代と聖徳太子

古墳時代では大王と豪族が中央政権をとりしきる形でしたが、6世紀になるとしだいにある豪族が力をつけていくようになります。その豪族こそが蘇我氏です。

蘇我氏は渡来人から日本に伝来した仏教を積極的に取り入れ、保守派であり仏教に消極的であった物部氏と敵対し、やがて蘇我馬子(そがのうまこ)が物部氏を滅ぼしてしまいます。これにより、豪族として確固たる地位と力を手にした蘇我氏は好き勝手するようになるのです。

そんな状況で、蘇我氏を押さえる存在として登場したのが聖徳太子(しょうとくたいし)です。聖徳太子という人物について、3分間の動画にまとめているのであわせてご覧ください。

西暦593年、聖徳太子は日本で初めての女性天皇である推古天皇(すいこてんのう)摂政(せっしょう)として中央集権国家づくりに乗り出します。

摂政とは、天皇が幼かったり女性だったりした場合に、その天皇に代わって実質的に政治を動かす国家のリーダーとなる役割のことです。聖徳太子は用明天皇の息子であり、推古天皇の甥(おい)にあたる親戚でもあったことから、推古天皇に厚く信頼されてもいました。

頭もよく、政治も上手だった聖徳太子が登場したことで、日本史の中心は蘇我氏から聖徳太子へと移ります。ただし、聖徳太子が死んでしまった後に再び蘇我氏の横暴がひどくなり、やがて日本史をゆるがす事件が起こることは頭の片隅に置いておきましょう。

冠位十二階の制定

603年、聖徳太子は冠位十二階(かんいじゅうにかい)という制度を作ります。

冠位十二階とは、優秀な人や功績のあった人を役人にするための採用制度のことです。聖徳太子は天皇を中心とした中央政権国家を作るために、ほんとうに実力のある人を国の重要な仕事に就かせようとしてこの制度を生み出したのです。

それまでは氏姓制度という、豪族が代々その一族で日本の重要な仕事を引き継いでいく仕組みだったために、実力ではなく名前や家系が重視されていました。その悪しき慣例を打ち破り、平等でしっかりと良い人材を見極めようとするところからも、いかに聖徳太子が優れた人物であったのかがわかるかと思います。

ちなみにこの冠位十二階というのは、頭につける冠の色でその人の地位を12段階に分けるというものです。この後に遣隋使として登場する小野妹子(おののいもこ)はこの12段階の一番良い位でもありました。

十七条の憲法の制定

604年、さらに聖徳太子は十七条の憲法を制定します。

憲法という名前がついていますが、現代のように絶対的に守らなければならない法律のようなものではなく、当時の朝廷(天皇のまわり)で働く役人たちに対して、ルールや働くときの心構えのようなものを示しています。

「一にいわく 和をもって貴しとなし(意味:お互いを尊重して平和にする)」といったように、17の決まり事がまとめられています。そして、そのなかで仏教が大切であることや天皇の命令には必ず従うように書かれていることもポイントです。

ちなみに、このころからようやく「大王」という呼び方から「天皇」という呼び方に変わったとされています。

遣隋使の派遣

天皇を中心とした中央の権力を強めていった聖徳太子は、607年に対等外交(たいとうがいこう)を目指して、中国の隋に小野妹子遣隋使(けんずいし)として送ります。

この時代の中国は「中華思想」という「中国が世界の中心である」という考えを持っており、他の国のことは下に見ていました。日本も例外ではなく、古墳時代には日本の王がみつぎ物を中国にへり下って送っているなど、対等ではなく上下関係があったのです。

それをあくまでも対等な立場として外交をしようとしたのが聖徳太子です。彼は小野妹子に次のような手紙も持たせています。

「日出づるところの天子、書を日没するところの天子にいたす。」つまり、「日が昇る日本の王が日が沈む中国の王に手紙を書いてよこす」といった内容の手紙です。この文章を見る限り、対等どころか日本のほうが上の立場にあるような言い方がされています。

当然、隋の皇帝の煬帝(ようだい)は無礼だと怒りますが、当時の隋は朝鮮の高句麗との戦いがひかえていたこともあり、日本とは仲良くしておこうと考えて穏便に済ますこととなります。聖徳太子の対等外交が成功したのです。

法隆寺と仏像

聖徳太子は仏教の教えを十七条の憲法でも示したように、仏教を厚く信じ、その教えを日本の人々に広めようとしていました。そのことから、都があった飛鳥を中心に仏教風の文化がつくられていくこととなります。これこそが「飛鳥文化」です。

飛鳥文化では中国のみならず、インドやギリシア、ペルシアなどの外国の文化からも影響を受けた国際色の強い文化です。蘇我馬子のような実力者や渡来人も飛鳥文化ではさまざまな寺院を建てて、その発展に貢献しています。

飛鳥文化で最も有名なのが、聖徳太子が建てた法隆寺(ほうりゅうじ)です。

法隆寺は現在残っている世界で最も古い木造建としても有名です。柱にはエンタシスと呼ばれるギリシア建築の円柱もあり、国際色がよく表れています。

また、法隆寺の金堂に納められている「釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)」も有名なので、中学受験生はあわせて覚えるようにしましょう。

このように、聖徳太子は国内における天皇中心の中央権力を強めただけでなく、海外とも積極的に結びつきを持ち、日本の政治や文化を一段階向上させた偉人なのです。

大化の改新と中心人物

大化の改新の中心人物

中大兄皇子と中臣鎌足vs蘇我氏

聖徳太子が死んだ後、再び蘇我氏一族が勢力をのばします。聖徳太子の子どもの山背大兄王(やましろのおおえのおう)一族を全員殺してしまうなど、朝廷で悪事を働かせます。

その様子を見ていて黙っていなかったのが、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)中臣鎌足(なかとみのかまたり)です。

二人はひそかに蘇我氏をほろぼす計画を立てます。有名なのが、二人が蹴鞠(けまり)という当時のボール遊びをしていたときに、その計画を話し合ったともいわれています。

蘇我氏で最も力を持っていた蘇我入鹿(そがのいるか)を殺害するために二人はわなをしかけます。武器を持たない状態で呼び出すために、天皇によるウソの儀式の開催を伝えます。そして、丸腰でやってきたところを中大兄皇子みずから蘇我入鹿を切って殺害したとされています。

これが世にいう「大化の改新(たいかのかいしん)」です。西暦645年の出来事でした。

豪族が生まれた古墳時代からずっと日本の中央で力を持っていた蘇我氏一族がほろび、これから日本は様々な改革を実行します。これらの一連の改革を含めて大化の改新というので必ず覚えておきましょう。

改新の詔と班田収授法

まず、日本史上はじめて年号を作ります。それこそが「大化」です。

年号とは「令和」や「平成」といったもので、現代では天皇が変わるたびに年号は変更されますが、当時は同じ天皇であっても様々な理由で変更していました。

そして、この時代に日本の政治の実権をにぎったのが中大兄皇子です。彼は皇子という立場でありながら、聖徳太子のように政治を様々に動かしていきます。その手始めとして、天皇がいる都を飛鳥から難波(なにわ)という現代の大阪にうつし、「改新の詔(かいしんのみことのり)」を発表するのです。

改新の詔の4つのポイント

  1. 公地公民
  2. 班田収授法
  3. 租庸調制
  4. 国郡里制

公地公民(こうちこうみん)とは、これまでは豪族が自分の物としていた土地や人民はすべて国、そして天皇のものであると宣言するものです。

班田収授法(はんでんしゅじゅほう)とは、戸籍(こせき)という名前や住所といった人々の情報を正確に記録し、戸籍をもととして人々に口分田(くぶんでん)という田んぼを分け与えるというものです。

一見すると、田んぼをもらえて得したように思えますが、これは田んぼを与える代わりに収穫したお米を税として国に納めることを義務づけられており、死んだらまた国に戻さなければならないことから、人々にとっては重い負担となりました。

租庸調制(そようちょうせい)とは、この時代の税金についての制度です。

  • 租…お米の収穫量3%を納める
  • 庸…布や塩などの特産物を納める
  • 調…絹や糸、綿などを納める

これらの税金制度は中国の「律令制(りつりょうせい)」を参考に作られていることを覚えておきましょう。なお、「租」は「祖」と中学入試でも間違えやすいので注意しましょう。

国郡里制(こくぐんりせい)とは、日本全国を国・郡・里で分けて、それぞれに国司(こくし)郡司(ぐんじ)、里長(さとおさ)というリーダーを任命して地方の政治にあたらせるものです。

国司は主に都に住んでいる貴族が任命され、郡司は地方に住む豪族が選ばれました。とくに郡司に選ばれる豪族は国造の役職をもともと持っていた人が選ばれています。

このように、しっかりとしたルールを初めて設けたのが大化のときです。

天智天皇と天武天皇

天智天皇と天武天皇

大化の改新以降に活躍した二人の天皇について見ていきましょう。なお、天智天皇(てんじてんのう)とは中大兄皇子のことです。中大兄皇子と天武天皇については、3分間のショートムービーに分かりやすくまとめています。あわせてご確認ください。

白村江の戦い

この当時、力をつけ始めた中国の唐と朝鮮半島の新羅(しらぎ)が協力し、朝鮮半島の百済(くだら)という国に攻め入ります。

日本は百済を助けるために、663年に援軍を朝鮮半島に送ります。これが白村江の戦い(はくすきのえ)です。

日本が援軍を百済にわざわざ送ったのは、百済と新羅の争いに乗じて朝鮮半島の南部を奪い取ろうという思惑があったからです。ところが、唐・新羅の水軍に敗れてしまい、日本は引き上げることになるのです。

白村江の戦いに敗れた中大兄皇子は、都を近江(おうみ)という現代の滋賀県にうつし、天智天皇として即位します。

天智天皇はその後、最初の法令である「近江令(おうみりょう)」や戸籍「庚午年籍(こうごねんじゃく)」を作ったことも覚えるようにしましょう。

壬申の乱

天智天皇が死んだ後、次の天皇は誰にするのかで争いが起こります。天智天皇の弟である大海人皇子(おおあまおうじ)と天智天皇の子どもである大友皇子(おおともおうじ)の二つのグループに豪族がわかれ、皇位をめぐって争い合うのです。

この争いが壬申の乱(じんしんのらん)であり、672年に起こったこととセットで必ず覚えておきましょう。

壬申の乱で弟の大海人皇子が勝利し、飛鳥に都をうつして天武天皇(てんむてんのう)となります。天武天皇は近江令のあとを引き継ぎ、飛鳥浄御原令(あすかのきよみはられい)という日本最初の律令をつくります。

大宝律令

その後、天武天皇の後には妻であった持統天皇(じどうてんのう)が即位し、唐の長安という都にならって、日本最初の都城である藤原京(ふじわらきょう)を建設します。現代の奈良県橿原市にあたります。

そして、701年に天武天皇の子どもである刑部親王(おさかべしんのう)が中心となり、大宝律令(たいほうりつりょう)を制定します。日本初の律令国家の誕生です。

これまで何度が出てきた律令ですが、律とは刑罰の決まりを示したもの、令とは国の制度や政治のルールを定めたものです。これまでに日本でつくられた律令、そして唐の律令を参考にして大宝律令はまとめられました。

また、710年に平城京に都を移す前には、和同開珎(わどうかいちん)という銅でできた貨幣が製造されます。この後に富本銭という貨幣が見つかる前までは日本最古の貨幣として言われていました。

飛鳥時代のまとめ

それでは最後に飛鳥時代の単元の重点ポイントのまとめをしていきます。

飛鳥時代のまとめとして、次の3つの項目をなにも見ずとも出来事やその年号、関わりのある人物を言えるかどうか確認してみてください。

  1. 聖徳太子の時代
  2. 大化の改新
  3. 天智天皇と天武天皇

答えられない場合は、もう一度それぞれの見出しに戻って読み返して要点を押さえましょう。中学受験の重要ポイントは次のようになります。

中学受験のまとめ
  1. 聖徳太子の時代
    ・蘇我馬子など蘇我氏の横暴
    ・聖徳太子が推古天皇の摂政に
    ・冠位十二階の制定
    ・十七条の憲法の制定
    ・遣隋使の派遣、小野妹子
    ・最古の木造建築の法隆寺
  2. 大化の改新
    ・蘇我入鹿vs中大兄皇子&中臣鎌足
    ・改新の詔の発表
    (公地公民/班田収授法/租庸調制/国郡里制)
  3. 天智天皇と天武天皇
    ・白村江の戦い
    ・壬申の乱
    ・大宝律令

これを最後まで読んでいただいたらわかるとおり、飛鳥時代では中学受験で覚えておかなければならない多数のキーワードや年号が出てきます。一回読んだだけではなかなか覚えづらい言葉も多いことから、少しゆとりをもって学習することがオススメです。

中学受験の歴史「飛鳥時代」の次の単元は「奈良時代」です。

ABOUT US

スタディアップ代表
群馬県生まれ、広島県育ち。愛光高校、慶應義塾大学商学部卒業。中学受験 社会科専門塾「スタディアップ」代表。集団授業の社会ライブ講義や、家庭学習で社会の成績を効率良くアップさせる講義CDなどの教材開発、通販を行い、年間2,000名以上の受験生と関わる。

主な著書に『中学受験は社会で合格が決まる』(講談社)、『中学受験“社会”合格への家庭内戦略 』(小学館) などがある。現在創業13年で、その実績はNHKなどのTVや、プレジデントFamilyなどの雑誌等でも多数紹介されている。