中学受験 歴史 弥生時代の重点ポイントまとめ

中学受験 歴史 弥生時代

稲作の広がりで日本が大きく変わったのが「弥生時代」です。

狩猟や採集が中心で「自然に生かされていた」縄文時代から、稲作という技術を身につけたことで初めて「自然を生かすこと」を日本の祖先は知ります。

日本人を語るうえで切っても切り離させない「お米」の文化。そのルーツが弥生時代から始まったこと、そしてその当時に暮らしていた人々には現代にも通じる、いかにも「人間らしさ」があふれていたことを歴史から学ぶことができます。

中学受験対策で考えた場合にも「卑弥呼」や「魏志倭人伝」などの固有名詞が多く出てくるため、比較的問題としても出題されやすい単元でもあります。

この記事では、中学受験の歴史「弥生時代」の重点ポイントについてまとめているので、これから受験勉強を開始する中学受験生は正しく知識を覚えて、取りこぼしがないようにしてください。

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一つ前の単元である「縄文時代」についておさらいしたい人はこちらの記事を参考にしてください。

弥生時代の重点ポイントをまとめると…

中学受験のポイント

  1. 弥生時代の道具
    ・高床倉庫と石包丁
    ・金属器…青銅器と鉄器
    ・弥生土器…かんたんな模様、赤褐色、薄くてかたい
  2. 弥生時代の遺跡
    ・登呂遺跡(静岡県)
    ・吉野ケ里遺跡(佐賀県)
  3. 弥生時代の歴史書
    ・後漢書東夷伝…奴国王と光武帝と金印(志賀島)
    ・魏志倭人伝…邪馬台国と卑弥呼
  4. 弥生時代の成立年代(ついでに覚えておこう)
    ・弥生時代の始まり…紀元前4世紀ごろ
    ・弥生時代の終わり…紀元後3世紀ごろ
目次

弥生時代はいつからいつまで?

弥生時代の年代はいつからいつまで

弥生時代が成立する前の縄文時代は実はとても歴史が長く、1万年以上も続いたと考えられています。現代が2000年ちょっとであることを考えると、その5倍近くも縄文時代は続いており、弥生時代という新たな時代へと進むのに、実はとてつもなく長い年月がかかっていたことをまずは知っておいてください。

弥生時代はいつから始まる?

では、弥生時代は具体的にいつから始まったのでしょうか。その成立年代にはさまざまな説がありますが、教科書では紀元前4世紀ごろと書かれているものが多いです。

なぜ曖昧なのかというと、当時の日本にはまだ本も文字もなかったことから、後世にその記録を残すことができず、細かい年代特定が難しいことが理由です。

時代区分の特定については、今なお研究がくり返されていて、新しい説が生まれては更新されていくことから、数年前の資料と今の資料を見比べてみてもまったく成立年代が違っています。もちろん今後も変わる可能性があることから、成立年代はそれほど中学受験では重要ではないと考えていいでしょう。

弥生時代はいつまで続いた?

一方で、弥生時代が終わった年代については、成立年代と比べてはっきりとしており、紀元後3世紀ごろには弥生時代が終了し、次の古墳時代が始まったと考えられています。

なぜ、弥生時代が終了した年代ははっきりしやすいのかというと、この当時には中国で文字や紙が使用されており、歴史書に日本の国についての記録が残っていることが理由です。これについては、この後にくわしく説明しています。

中学受験のポイント

  • 弥生時代の始まり…紀元前4世紀ごろ
  • 弥生時代の終わり…紀元後3世紀ごろ

弥生時代の稲作文化・農業の始まり

弥生時代の農業・稲作

弥生時代の稲作の広がり

弥生時代の始まりは日本に稲作文化(米作り)が広がったことを起点として、その稲作を中心に道具や住居といった人々の暮らし、そして価値観が変わっていきます。

まず、稲作は中国や朝鮮半島といった大陸から初めて日本に伝わってきました。それまで自然にあるものを狩猟や採集をして暮らしていた人々が、初めて自分たちで食べ物を作るということを知ったのです。

これは遺跡から発見された土器の底に稲のもみのあとが残っていたことから知ることができます。現代の東南アジアから中国を経て、日本へと伝わってきました。

そして、稲作が始まったことで、人々はこれまでの狩猟に適していた台地から低地へと移り住むようになり、定住生活がこの時代の基本となっていったのです。

弥生時代の道具や倉庫

稲作は水田をつくって、木でできたくわやすきで耕し、現代のように田植えをするのではなく直接田んぼに種もみをまいていました。そして、稲穂が実る秋になると「石包丁(いしぼうちょう)」という石でできた道具を使ってつみ取ります。

お米は収穫してからもしばらく保存することができるため、そのお米を貯蔵しておく場所が必要になりました。そこで開発されたのが「高床倉庫(たかゆかそうこ)」です。

高床倉庫は名前のとおり、地上から少し高いところに建物が建てられており、湿気を防ぎ、風通しもよいためお米の保存に向いていました。

そして、ねずみのような小動物が外から侵入できないように、柱にはねずみ返しとよばれる広い板がくっつけられており、柱を登れたとしてもその板のところで落ちるしかけもありました。

弥生時代の土器・金属器・鉄器

稲作と一緒に大陸から伝わったものが「金属器」です。

弥生時代には2種類の金属器があり、初めに日本へとやってきたのが「青銅器(せいどうき)」とよばれる青緑色をした銅でできたものです。少し古くなった十円玉が青緑色になっているのを見たことがありませんか。あれをもっと全体的に青緑色にしたイメージです。

この青銅で作られているのが「銅剣(どうけん)」や「銅鉾(どうほこ)」という大きな剣の形をしたものと、「銅鐸(どうたく)」という少し平べったい鐘のようなものです。これらの青銅器は主にお祭りやまじないに使われていたと考えられています。

また、青銅器よりも少し後には「鉄器」が伝わりました。鉄器は青銅器よりも軽くて実用的だったので、農具や工具、争いのときの武器として使われていました。

そして、弥生時代で忘れてならないのが、時代の名前にもなっている「弥生土器」です。

弥生土器は現在の東京の弥生町という場所で見つかった土器で、厚くてもろかった縄文土器とは異なり、次のような特徴がありました。

  1. かんたんな模様が付いている
  2. 色は赤褐色(あかかっしょく)
  3. 薄くて、かたい

復習ですが、縄文土器の特徴は「縄目の模様」「黒褐色」「厚くてじょうぶ」でした。

それに対して、弥生土器は表面には幾何学模様(線や丸、四角など)があるだけで縄文土器と比べて見た目はシンプルです。

また、縄文土器は500~800度くらいの低温で焼かれていたのに対し、弥生土器は1000度くらいのより高い温度で焼かれています。そのため、薄くてもじょうぶで、赤みをおびたオレンジ色のような色をしていたのが特徴です。

このように土器の性質が上がったことで、保存だけでなくさまざまな用途でも使えるようになり、弥生時代の人々の暮らしは格段に向上することになります。

中学受験のポイント

  • 稲作で使われた…石包丁、高床倉庫
  • 稲作と一緒に伝わった…青銅器、鉄器
  • 弥生土器の特徴は「かんたんな模様」「赤褐色」「薄くてかたい」

弥生時代の遺跡「登呂遺跡」「吉野ケ里遺跡」

弥生時代の遺跡

弥生時代の存在を証明する遺跡で、中学受験生が覚えておくべきものは次の二つです。

弥生時代の遺跡①「登呂遺跡」

一つ目は静岡県の「登呂遺跡(とろいせき)」です。

ここでは、多くの竪穴(式)住居、そして高床倉庫のあとが見つかっています。

また、水田のあとや弥生土器も見つかっており、稲作を中心とした集団生活がされていたことを証明しています。

弥生時代の遺跡②「吉野ケ里遺跡」

弥生時代の遺跡では登呂遺跡が最も有名でしたが、1986年に佐賀県で「吉野ケ里遺跡(よしのがりいせき)」が見つかります。

約50ヘクタール(ざっと東京ドーム約10個分)にもなる国内最大級の環濠集落(かんごうしゅうらく)のあとが発見され、国の特別史跡にも登録されています。

環濠集落というのは、外敵から村を守るために村のまわりに堀(大きなみぞ)や水堀、さくを作って囲った集落のことをいいます。集団生活のあとが見られ、高床倉庫や敵の侵入を見張る物見やぐらなどのあとも見つかっています。

吉野ケ里遺跡からはほかにも土器や石器など貴重な文化財が多数見つかっていますが、なによりもその発見が歴史的な理由には、それだけ大きな規模で「中と外」「味方と敵」という「ムラ」の概念が当時には生まれていたことを決定づけている点でした。

中学受験のポイント

  • 静岡県の登呂遺跡
  • 佐賀県の吉野ケ里遺跡

小国家の成立と邪馬台国・卑弥呼の登場

邪馬台国と卑弥呼

弥生時代で稲作が始まり、高床倉庫や弥生土器といった蓄える文化が生まれたことで、お米をたくさん所有できる者とそうでない者といったように貧富の差が生まれるようになります。

また、収穫するのが上手な人や稲作に必要な水田や水路を整備するときに中心となる人物が出てくるようになります。つまり、人々の間で身分の差が生まれるようになるのです。

こうして、力を持つ支配者が誕生し、集団生活を行う「ムラ」が生まれ、やがて日本各地に大小さまざまなムラができ、そしてそれらは武力で支配・統合され、やがて「クニ」という一つの大きな集団ができ上がっていきます。

「漢書地理志」に書かれた日本のこと

日本について初めて書かれているのが、当時中国の漢の歴史書である「漢書地理志(かんじょちりし)]です。

漢書は紀元前3世紀から紀元後1世紀の歴史について書かれた本ですが、そのなかの地理志という章のなかに日本のことが少し書かれています。

具体的には、朝鮮の向こう側の海には倭人(わじん,日本人の呼び名)が住んでいること、そして百ほどの国が存在しているということが書かれています。また、当時の倭人が中国漢の皇帝のもとに貢物(みつぎもの)を定期的に贈っていたことも書かれています。

「後漢書東夷伝」に書かれた日本のこと

紀元前1世紀半ばには、倭の奴国王(なのこくおう)が中国の後漢(ごかん)に使者を送って、後漢の初代皇帝である光武帝(こうぶてい)から金印を与えられたという記述があります。

後漢書とよばれる紀元1世紀から3世紀の歴史を書いた本に記載があり、漢の時代に引き続いて日本のいくつかの国が当時の中国皇帝に貢物を贈って外交を行っていたことがわかります。

貢物を送る日本の国の目的としては、漢という大きな力を持つ国に日本の王として認められることで、争いが続いているほかの日本の国に対して、いばったり力を見せつけたりするのに用いられたと考えられています。

光武帝から倭の奴国王(現在の福岡県の北九州市にあったとされる国)に授けられたとされる金印ですが、実はこの現物が江戸時代に発見されています。

現在の福岡県の志賀島(しかのしま)で、1784年に百姓であった甚兵衛(じんべえ)という男が田んぼを耕しているときに金色に光る金印を見つけたのです。底辺の一つの辺の長さが2.3㎝、重さが109gとそれほど大きくはありません。金印には「漢委奴国王」と記されており、実際に漢と奴国で交流があったことが証明されたのです。

「魏志倭人伝」に書かれた日本のこと

そして、中国の歴史書に書かれた日本についての記述で、もっとも有名なのが「邪馬台国(やまたいこく)」とその女王であった「卑弥呼(ひみこ)」です。

魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」という、三国時代の魏が記した歴史書に記述があり、そこには3世紀ごろの日本の様子が書かれています。

具体的に書かれていた内容としては、当時の日本には約30ほどの小国を従えていた邪馬台国という国があり、その国を女性の王である卑弥呼が治めていたということです。

魏志倭人伝によると、239年に卑弥呼は魏の皇帝に貢物を贈り、「親魏倭王(しんぎわおう)」という称号を授けられています。これはその名のとおり、魏の国の味方でもある倭の国の王として卑弥呼を認めるというような内容です。

なお、卑弥呼については下記の動画でも詳しく解説がされているので、記事とあわせて学習に役立ててください。3分間のアニメーションで構成されているので、短時間でもテンポよく理解を深めることができます。

卑弥呼はまじないのような不思議な力を持っていたとされ、多くの人々を従えて国を統治していました。そして、彼女が死んだときには100人あまりの奴隷が生き埋めにされたと考えられており、当時とてつもなく大きな力を持っていたことが想像できます。

その死後は男性の王を立てるものの反乱がおこって上手く国が収まらず、代わりに13歳の壱与(いよ)という女の子を王として立てたことで国はまた治まったというようなことも書かれています。

また、邪馬台国の位置ついては諸説あり、北九州にあった説と近畿地方にあった説の二つが有力とされていますが、はっきりとはわかっていません。

中学受験のポイント

  • 後漢書東夷伝…奴国王と光武帝と金印(志賀島)
  • 魏志倭人伝…邪馬台国と卑弥呼

弥生時代のまとめ

それでは最後に弥生時代の単元の重点ポイントのまとめをしていきます。

弥生時代のまとめとして、次の4つの項目をなにも見ずともキーワードや内容を言えるかどうか確認してみてください。

  1. 弥生時代の道具
  2. 弥生時代の遺跡
  3. 弥生時代の歴史書
  4. 弥生時代の成立年代

答えられない場合は、もう一度それぞれの見出しに戻って読み返して要点を押さえましょう。中学受験の重要ポイントは次のようになります。

中学受験のまとめ

  1. 弥生時代の道具
    ・高床倉庫と石包丁
    ・金属器…青銅器と鉄器
    ・弥生土器…かんたんな模様、赤褐色、薄くてかたい
  2. 弥生時代の遺跡
    ・登呂遺跡(静岡県)
    ・吉野ケ里遺跡(佐賀県)
  3. 弥生時代の歴史書
    ・後漢書東夷伝…奴国王と光武帝と金印(志賀島)
    ・魏志倭人伝…邪馬台国と卑弥呼
  4. 弥生時代の成立年代(ついでに覚えておこう)
    ・弥生時代の始まり…紀元前4世紀ごろ
    ・弥生時代の終わり…紀元後3世紀ごろ

弥生時代はこれまでの旧石器時代や縄文時代の単元と比べて、中学受験でもキーワードとなる単語が多く出てきます。とくに、中国の漢や後漢、魏といったように、世界で見たときの日本の記述も関係してくるなど、縦の関係だけでなく横の関係でも歴史を覚えていかなければなりません。

これからますます日本以外の国や歴史との関連で言葉を覚えていかなければならないので、一つの単元を終えたらすぐ次の単元へ行くのではなく、何度も復習を重ねて知識がしっかりと定着できているかを確かめながら学習を進めていきましょう。

中学受験で歴史分野を最速で得意にしたい方へ

中学受験は算数や国語ではなく、「社会」の出来で合否が決まります!
そのため、第一志望に合格したいのであれば、歴史を家庭学習でまず最初に固めるのが断トツの近道です!

● 算数の1点と社会の1点は、入試総合点で考えれば同じ1点
● 歴史は流れ・ポイントを効率良く学習すれば、すぐに得意教科にできます!

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中学受験の歴史「弥生時代」の次の単元は「古墳時代」です。

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