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中学受験 歴史 平安時代の重点ポイントまとめ

文化・政治・戦乱ととにかく内容が盛りだくさんなのが「平安時代」です。

平安時代には日本人ならだれもが知っている「源氏物語」や「枕草子」などの文学、そして10円玉のデザインにもなっている「平等院鳳凰堂」のような歴史的建築物も多く建てられ、文化的価値の高い時代として知られています。

また、政治の世界では、前半は藤原道長や藤原頼通といった藤原氏勢力の全盛期、その後の平氏や源氏といった武士の台頭から、後半には天皇ではなく上皇による院政が開始されるなど、政治のありようもどんどん様変わりしていきます。

当然、中学受験においても覚えるキーワードや年代も多く、とくに藤原氏の政治や源平を中心とした武士たちの登場は入試でも頻出の単元であることから確実に覚えていく必要があります。

この記事では、中学受験の歴史「平安時代」の重点ポイントについてまとめているので、これから受験勉強を開始する中学受験生は正しく知識を覚えて、平安時代から鎌倉時代にかけて活躍する歴史的人物、そして歴史的な出来事をしっかりと記憶していってください。

一つ前の単元である「奈良時代」についておさらいしたい人はこちらの記事を参考にしてください。

平安時代の重点ポイントをまとめると…

平安時代の成立年代と桓武天皇

平安時代の年代はいつからいつまで

平安時代は、西暦794年~1192年の約400年間という長期にわたって続きました。

その開始は桓武天皇(かんむてんのう)が794年に都を現代の京都府京都市の平安京へ移したところから始まります。ですが実は、平城京から平安京へと移る前に、桓武天皇は784年に一度、都を現在の京都南の長岡京(ながおかきょう)に移していることも押さえておきましょう。

そして、この平安京は明治時代になるまで天皇の都として定められます。794年から1869年までの1,000年以上にもわたって一つの場所に天皇がいたということもポイントとなってきます。

都の移り変わり

  • 694年~710年 藤原京(持統天皇)
  • 710年~784年 平城京(元明天皇)
  • 784年~794年 長岡京(桓武天皇)
  • 794年~1869年 平安京(桓武天皇)

桓武天皇の政治

一つ前の奈良時代では、律令政治のもとに多重な税が民衆に課せられ、多くの農民が自らの農地を手放します。そして、それを利用したのが力のある貴族や寺社たちで、墾田永年私財法の制度を利用して、私有地である荘園を増やしていきました。

この荘園という仕組みは後に藤原氏のような貴族の力を伸ばすことになりますが、それについては後ほど解説していきます。まずここでは、国民が国に税を納めることを放棄し、律令政治が乱れたことを受けて、桓武天皇が律令政治の立て直しをはかって都を平安京へと移したことを押さえましょう。

平安京に都を移したことは、仏教寺院の多かった奈良から離れることで、政治に仏教を干渉させないという理由もありました。それほどまでに、人々の間で仏教が重要なものとなっており、国のあり方そのものまでも左右しかねない力を持っていたことを意味しています。

桓武天皇がしたこと

桓武天皇は律令政治を立て直すために、数々の改革を行いました。代表的なのは次の4つです。

  1. 勘解由使の設置
  2. 健児の設置
  3. 蝦夷征討
  4. 律令制度の改正

勘解由使(かげゆし)というのは、それまで地方を納めていた国司や郡司が好き勝手やっていることが多かったために、それらの不正を取り締まるために置いた役人のことです。読み方が特殊なので次の健児と同じくむしろ覚えやすいかもしれません。

健児(こんでい)とは、郡司の子どもたちの中から馬に乗るのが上手だったり、弓矢を引くのが上手だったりした者を兵士として訓練することです。これにより、防人のように農民たちを徴兵することを辞めました。「けんじ」とは読まないので注意しましょう。

蝦夷征討(えぞせいとう)とは、蝦夷と呼ばれた東北地方の人たちの反乱をおさえるために、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)として軍隊を派遣した戦いです。坂上田村麻呂は勝利し、朝廷は東北地方にも勢力を広げます。

この征夷大将軍とは、「蝦夷」を「征討」するという意味で付けられた軍のトップを意味する役職ですが、その後、日本の武士のトップを表す言葉としても使われるので覚えておいてください。

④律令制度の改正では、乱れた律令制度を改革するために、格(きゃく)式(しき)という二つのことを新たに定めたことがポイントです。格は律令制度を補う追加の法令のこと、式は律令を正しく行うための細かいルールのことを言います。

また、律令とは別に新しい官職として「令外(りょうげ)の官」という役職を作ったことも重要です。蔵人や検非違使のことをいいます。

このように、桓武天皇は都を2回も移したり、律令制度を立て直すために様々な改革を行ったりしたことを押さえておきましょう。

また、平安時代の初期には新しい仏教も生まれます。

天台宗(てんだいしゅう)を開いた最澄(さいちょう)は比叡山に延暦寺を建て、真言宗(しんごんしゅう)を開いた空海(くうかい)は高野山に金剛峯寺を建てます。

中学受験でも間違われやすい箇所なので、それぞれセットで正確に覚えるようにしましょう。

藤原氏の全盛と摂関政治

平安時代と藤原氏

大化の改新のときに活躍した中臣鎌足を覚えていますか。その後、藤原の性をもらった藤原鎌足は、その子どもの藤原不比等(ふひと)、そしてその娘の光明皇后(こうみょうこうごう)のときに力を伸ばしていきます。光明皇后はあの聖徳太子のきさきです。

藤原氏のやり方は自分の娘を天皇家に嫁がせて天皇の親戚となり、天皇が幼いときは摂政(せっしょう)として、天皇が成人になると関白(かんぱく)として、天皇に代わって日本の政治をとり行うというものでした。これが摂関政治(せっかんせいじ)というものです。

摂政で有名なのといえば、推古天皇の摂政として活躍した聖徳太子ですが、貴族で初めてこの摂政になったのが藤原良房(よしふさ)です。866年のときで、8歳の清和天皇の摂政となります。

その後、藤原基経(もとつね)が887年に最初の関白となります。

このように、藤原氏はほかの貴族たちから抜きんでた存在となり、日本の政治を思いのまま操っていきます。なかでもその力を最大限まで高めたのが11世紀の二人の親子のときでした。

藤原氏の全盛期、藤原道長・頼通

中学受験でも重要なのが、藤原道長(みちなが)藤原頼通(よりみち)の父子です。藤原氏一族の全盛期といえば、この二人の時代を指すことを覚えておきましょう。

とくに父の藤原道長は、自分の娘をみんな天皇のきさきにし、その孫のうち3人が天皇にもなっています。

「この世をば わが世とぞ思う望月の かけたることも なしと思えば」という道長の歌はあまりに有名で、「この世はなんでも自分の思い通りになる」という意味におそろしさを感じます。

そんな藤原道長は朝廷で絶大な権力をかざしただけでなく、私有地もどんどん増やしていきます。それが先ほど述べた荘園のことです。

なお、少し前に登場した桓武天皇と、藤原道長について分かりやすくまとめている動画もあるので、動画を視聴してみて人物に対するイメージを理解する方法もおすすめです。

荘園による貴族の力の増大

墾田永年私財法により、開墾した土地はそのまま開墾した人の土地となります。それをうまく利用して、貴族や寺社は荘園という私有地を増やしていきました。

そして、貴族や寺社たちの荘園は不輸・不入(ふゆ・ふにゅう)の権というものが認められており、国から税を取られない、国の役員である国司が立ち入ることを拒否することができました。

それにより、農民たちは耕した土地を貴族や寺社に寄進する(寄付する)ようになり、その見返りとしてその土地の荘官(しょうかん)として雇ってもらうことが多くなりました。

つまり、本来は国に納められる税を増やそうとした墾田永年私財法が、結果として国に納められる税を少なくして国の力を弱め、逆に貴族たちの力を強めることにつながってしまったのです。

院政と白河天皇

荘園によって力を増大させていく藤原氏ですが、藤原道長の死後は少しずつその力は衰えていきます。

1069年に後三条天皇(ごさんじょう)は記録所(きろくどころ)という荘園を管理する役所を置いて、藤原氏の力を抑えようとします。後三条天皇は藤原氏と血縁関係が薄かったためにこのようなことができました。

その後に天皇となった白河天皇は、1086年に幼い堀河天皇の代わりに白河上皇(しらかわじょうこう)として政治を行います。これを院政(いんせい)といい、以後約100年間を院政時代といいます。

平安時代の戦と武士の登場

平安時代の戦と武士

国の力が弱まって地方が次第に乱れていくと、それぞれの地方の豪族や荘官などの有力者は自分の土地を守るために家の子や家来たちに武器を持たせて訓練させます。これが武士の誕生です。

やがて、武士たちは集団で強くなっていき武士団として結束を固めます。なかでも、桓武天皇の血筋を持つ平氏(へいし)と清和天皇の血筋を持つ源氏(げんじ)を力をつけていきます。

地方武士の反乱「平将門の乱」「藤原純友の乱」

935年、現在の千葉県と茨城県にまたがる下総の豪族であった平将門(たいらのまさかど)が朝廷に反抗し、関東地方一帯に力を拡大させます。これが平将門の乱です。

平将門は自らを新皇と名乗りますが、940年に平貞盛(さだもり)や藤原秀郷(ひでさと)らによって鎮圧されました。この平貞盛の子孫には後の平清盛もいます。

939年、現在の愛媛県の伊予の役人であった藤原純友(ふじわらのすみとも)が瀬戸内海の海賊とともに反乱を起こします。これが藤原純友の乱です。

藤原純友は九州の太宰府にも反乱を広げますが、その後小野好古(よしふる)や源経基(つねもと)らによって討たれました。源経基は源氏のはじまりと言われています。

このように反乱を起こしたのもそれを鎮圧したのも武士の力によるところで、結果として武士の存在がどんどん高まっていきます。

東北地方の反乱「奥州の乱」

1051年~1062年、前九年の役(えき)と呼ばれる反乱がおきます。

東北地方で力を持っていた豪族の安部頼時(あべのよりとき)・貞任(さだとう)が国司に対して反乱を起こすのです。その後、朝廷から派遣された源頼義(よりよし)・義家(よしいえ)によって反乱は鎮圧されます。

この時に活躍した源義家と、のちに奥州藤原氏となる清原氏の助けがあったことは中学受験でも重要なので覚えておきましょう。

1083年~1087年、後三年の役と呼ばれる争いが起こります。

先の前九年の役で朝廷の武士を助けた清原氏一族の争いで、このときに源義家が清原清衡を助けたことで、東国の武士と源義家の間に強固な信頼関係・主従関係が出来上がることとなります。

その後、清原氏は藤原氏と名乗って(奥州藤原氏)、岩手県の平泉を中心に勢力を伸ばしていきます。中尊寺金色堂を建てた藤原清衡、基衡や秀衡の3代は覚えておくようにしましょう。

平氏と源氏「保元の乱」「平治の乱」

白河上皇による院政の時代に、仏教勢力が力をつけて好き勝手するようになります。僧兵とも呼ばれる寺社の私兵たちを抑えるために、白河上皇が平氏に力をつけさせ、前の反乱で活躍した源氏とともに平氏が武士のなかでの実力者となっていきます。

1156年、保元の乱(ほうげん)が起きます。

天皇と上皇の争いでしたが、このときに勝利した天皇側で活躍したのが源義朝(よしとも)平清盛(きよもり)です。源義朝は後世に活躍する源頼朝と義経兄弟の父でもあります。

1159年、平治の乱(へいじ)が起きます。

源義朝と平清盛が対立し、平清盛が勝利します。これにより、平氏が中央政治の実権を握ることとなります。

平氏の政治進出

1167年、平清盛は武士ではじめて太政大臣(だいじょうだいじん)に任命されます。さらに、清盛は藤原氏のように娘を天皇のきさきにして、その子どもを安徳天皇(あんとく)にもしました。

清盛が行った政治で重要なのは、現在の神戸港でもある大輪田の泊(おおわだのとまり)を整備して中国の宋との貿易を始めたことです。遣唐使廃止から唐の交流がなかった日本ですが、清盛の時代に再び交流を復活することとなります。

ただし、清盛はあくまでも武士の出身であったために、貴族や寺社、さらには武士からも反感を買い、政治はうまくいきませんでした。

国風文化と平安文学作品

平安文学と国風文化

日本の外に目を向けると、大陸でも大きな変化が起きます。

907年には、唐がほろびます。その後約50年間は五代十国時代といわれ、宋が統一するまで戦乱が続きます。また、936年には新羅がほろび、高麗が朝鮮半島を統一します。

このように、中国や朝鮮の状況が不安定になったことで、894年に菅原道真(すがわらみちざね)の進言によって約260年間続けられていた遣唐使が廃止となります。ちなみにこの菅原道真は学問の神様としても有名で、彼がまつられている太宰府天満宮に合格祈願で訪れたことがある中学受験生や保護者も多いはずです。

遣唐使が廃止されたことで、これまでは進んだ文化を持った中国の真似ばかりをしていた日本が独自の文化の道を歩むようになります。日本独特の文化、国風文化(こくふうぶんか)の誕生です。

国風文化の内容

国風文化で覚えておくべき代表的なものは次のとおりです。

  • 寝殿造(しんでんづくり)
    貴族の家には庭や池が造られた
  • 十二単衣(じゅうにひとえ)
    女子の服装。男子は衣冠・束帯。
  • 大和絵(やまとえ)
    日本の風物を美しい色で描く
  • 鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが)
    絵巻物。ほかに源氏物語絵巻など。

さらに、国風文化では漢字をもとにしたかな文字が生まれ、それによって貴族の女性や僧侶による文学が多く生まれました。かな文字とは現代でいうひらがなに近いものです。

平安時代の文学作品

文学作品で代表的なのは次のとおりです。

  • 古今和歌集
  • 竹取物語
  • 源氏物語(紫式部)
  • 枕草子(清少納言)
  • 土佐日記(紀貫之)
  • 栄華物語
  • 大鏡
  • 今昔物語

古今和歌集は天皇の命令で作られた最初の和歌集で約1100首もあります。紀貫之も関わっています。そのほかの作品も中学受験では頻出のものばかりなので、それぞれの作品名と作者名をセットで覚えるようにしましょう。

平安時代のまとめ

それでは最後に平安時代の単元の重点ポイントのまとめをしていきます。

平安時代のまとめとして、次の4つの項目をなにも見ずとも出来事やその年号、関わりのある人物を言えるかどうか確認してみてください。

  1. 平安時代と桓武天皇
  2. 藤原氏の政治
  3. 戦乱と武士の登場
  4. 国風文化と文学作品

答えられない場合は、もう一度それぞれの見出しに戻って読み返して要点を押さえましょう。中学受験の重要ポイントは次のようになります。

中学受験のまとめ
  1. 平安時代と桓武天皇
    ・年代は794~1192年
    ・長岡京と平安京
  2. 藤原氏の政治
    ・摂関政治(摂政と関白)
    ・良房と基経
    ・道長と頼通
    ・白河上皇と院政
  3. 戦乱と武士の登場
    ・平将門の乱・藤原純友の乱
    ・前九年の役・後三年の役
    ・保元の乱・平治の乱
    ・平清盛と太政大臣
  4. 国風文化
    ・遣唐使廃止と菅原道真
    ・寝殿造、大和絵、十二単衣
    ・古今和歌集、竹取物語
    ・源氏物語、枕草子、土佐日記
    ・栄華物語、今昔物語、大鏡

中学受験の歴史「平安時代」の次の単元は「鎌倉時代」です。

中学受験 歴史 鎌倉時代の重点ポイントまとめ


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スタディアップ代表
群馬県生まれ、広島県育ち。愛光高校、慶應義塾大学商学部卒業。中学受験 社会科専門塾「スタディアップ」代表。集団授業の社会ライブ講義や、家庭学習で社会の成績を効率良くアップさせる講義CDなどの教材開発、通販を行い、年間2,000名以上の受験生と関わる。

主な著書に『中学受験は社会で合格が決まる』(講談社)、『中学受験“社会”合格への家庭内戦略 』(小学館) などがある。現在創業13年で、その実績はNHKなどのTVや、プレジデントFamilyなどの雑誌等でも多数紹介されている。